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波川海~川が大海にそそぐオーケストラのバイオリン


♪波☆川★海
by umidesu3
【プロフィール】
波川海は、『波』、『川』、『海』の3人を意味しています。
「川が大海へそそぎ込んだ時、その川の水は存在が消えてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、例えばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(シルバーバーチは語る 319頁)
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吾がたましいの


吾がたましいの労苦にて

得たる泡沫。

永遠のものとして得らるるものは

「天」のみぞ。

求むるに従いて「吾がもの」となるものは、

「神」のみぞ。

# by umidesu3 | 2006-06-05 00:10 | 波と海

静けさは


静けさは行きわたり

地上なるさわぎ争いに

傷つきし吾がたましいの

落ち着かぬ脈搏は

いまぞ静けし。


吾れをめぐりて

平和の気は押し迫り、

愛深き聖手は

吾を抱けり、嗚呼、

至聖なる此の静けさ!

# by umidesu3 | 2006-06-05 00:07 | 波と海

葡萄酒


聖杯(きよきさかずき)ー

神の生命の葡萄酒、

吾はそれを呑みほす。

吾は神の生命を吸う。

神は聖杯を

傾けても

傾けても

また注ぎ給う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

吾れは聖杯の気を

また更に深く吸い、

聖杯を

また更にあぐるー

生命の酒を

吾のめば、

渇きたるわが魂は

生命にて充たされぬ。

# by umidesu3 | 2006-06-05 00:01 | 波と海

さらば


さらば汝よ、な出で行きて「彼」を求めそ、

これぞ唯一の癒ゆる道。

眼を閉じ黙して待つに若かず、

「彼」は近くに在ますべし。

# by umidesu3 | 2006-06-04 17:22 | 波と海

●波川海の目的

波川海では、その時々のテーマを扱う場合がありますが、そのような場合であっても基本的には長期的な視点を考えつつ書くようにしています。すなわち、現在はスピリチュアリズムを学んでいないが、将来スピリチュアリズムやニューエイジを学ぶであろう人たちを念頭に置き、これらの人たちの将来の思索の参考材料となることを考えながら書いています。

したがって、各投稿等について大意は変えませんが、分かりやすい表現への修文や追加等を行ってきましたし、今後もそうするつもりです。

将来スピリチュアリズム、更にはスピリチュアリズムを基礎にしつつニューエイジなどの思想を学ぶ人たちにとって、いささかなりともこの波川海が参考になり、思索の深化が図られるならばこれ以上嬉しいことはありません。

なお、海さんの5月28日の投稿「思ったこと」を6月4日0時に削除します。

しかし、この投稿中、将来真理を学ぶ人たちのために参考になると思われるポイントを下記の通り箇条書き的に残しておきます(川の責任においてポイントを選択、修文しました)。


・一般論として検証行為自体が近藤千雄氏に対する不敬であるとして非難することはあってはならないし、また、プロの翻訳家だからとして検証ができないとすることは適切な姿勢ではないと考える。近藤氏訳が素晴らしいと思うのも、あるいは疑問に思うのも、また些細な言い回しや用語にこだわるのもこだわらないのも、原文と比較したいと思うのも思わないのも、検証に興味をもつのももたないのも、すべて自由であり、検証内容に関する肯定的、否定的な意見双方を参考にしつつ各自が自立的、かつ冷静に判断していく環境が必要だろう。

・検証は審判(さにわ)であると思う。そうであるならば、原文にしても訳文にしても、検証するという方向性はむしろ好ましいことだろう。もちろん、 審判(さにわ)としての資質の向上、研鑽の努力は常に必要である。

・近藤氏への敬意に関してであるが、今までのネット上のスピリチュアリズム界では、桑原啓善氏訳を検証することなく貶(けな)したり、また、特定の人や団体に対して人格攻撃、非難、罵倒をすることがしばしばあった。このようなことに対しては問題視せず、近藤氏訳の検証に対してだけ非難するのはフェアな姿勢とは言えない。

・かつて幸福の科学の大川氏がマスコミに批判された時、「信者自身の信仰心が傷付けられた」と言って裁判に訴えたことがあった、今回の検証反対の人たちの一部はまるで近藤教という宗教の信者のように思える。

(文責:川)

# by umidesu3 | 2006-06-02 23:12 | 「波川海」について