【プロフィール】
波川海は、『波』、『川』、『海』の3人を意味しています。 「川が大海へそそぎ込んだ時、その川の水は存在が消えてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、例えばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(シルバーバーチは語る 319頁) 以前の記事
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犠牲とか清貧礼賛は、人間の本性にふさわしくない言葉だと思います。 犠牲という言葉で思い出すのが宇野千代さんの『生きていく私』の一節です。ここには犠牲などない。○○のために・・・もない。ただ好きだから。 宇野千代さんのお父さんは厳しく恐い人で、お母さんは継母です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ やがて、この母は、義済堂という、町の糸取り工場へ出るようになった。・・略・・ここへ通うために、母は朝くらい中に起き、弁当箱に前の晩の冷たくなった飯を詰めて、子供たちは寝かせたまま、そそくさと草履の音をさせて、走って行くのであった。後年、この時の母の労苦を偲んで、母に向かってこう言ったものである。「お母、ほんにあのときは、辛い思いをさせて、済まんことじゃったのう。大概、わしの女学校行きの費用を賄うために、義済堂へお行きたんじゃろうがの」しかし、この時の母の答えは意外であった。 「何の、お前の学校のためかいの。わしゃあ、唄を歌うのが好きでのう。いつまでも糸をとりながら、声を上げて唄を歌うたもんじゃが、みんなが、わしの声に聞き惚れてのう。それが自慢で、糸取りに行ったんでよ」と笑って言ったのをいまでも忘れない。 母はこの言葉を、半分は私のためにわざと取り繕って言ったのであろうか。そうではない。しん底、自分の唄が自慢で、それで義済堂に通ったに違いない、と、いまでも私は信じている。人は好きなことのためにする少しばかりの労苦は心にかけぬものだからである。 #
by umidesu3
| 2006-05-15 20:25
| 波と海
私は、真理に関し、いろいろな意見が出るのはいいことだと思っています。このことで、いくつか言いたい点があるのですが、2点だけ言いますと、
【一つの誤訳】 ○「マイライフさん掲示板」で、批判する側からもNo404で近藤訳に「誤訳」があると認めているように(注)、このような検証作業の中から、翻訳上の新たな問題も見つかるかもしれません。 (注:ただし、これは投稿者自身の意見ではなく、投稿者が頼っている権威の意見ということです) 「マイライフさん掲示板」上での短期間の僅かな検証から一つの誤訳が双方ともに認識されたという事実は大変大きいと思います。一つの誤訳だけだから問題ないですまされることではないと思います。 そして、近藤訳に限らず、翻訳とは限界のあるものなので、そのような前提で読むべきだとの認識ができるようになることは大事なことだと思います。 【「非難の応酬」を避ける工夫】 ○また、異なる意見、見解を参考にしながら、自ら考え、自らが判断していくというスピリチュアリズム本来の学び方を守っていけば、過去によく見られたようなスピリチュアリスト同士の「非難の応酬」、「罵倒の応酬」は起きないだろうと思いますし、そう願っています。 『哲学系の罵倒合戦には「単なる言葉の強さでは傷つかないだろ?」というお互いの信頼感があるから、「非難の応酬」はあってもいい』との意見もあるでしょうし、それも一つの見識かと思います。が、私はその考えに与しません。むしろ、過去によく見られたスピリチュアリスト同士の「非難の応酬」、「罵倒の応酬」によって、スピリチュアリズムの本来のあり方を誤解し、離れていった人たちもいるかと思うと大変残念に思っています。 挑発的な言葉を使う批判者を相手にしないというだけでは「消極的な対応」になりますが、上で述べたようなスピリチュアリスト同士の「非難の応酬」、「罵倒の応酬」をできるだけ避けるという意味での対応であれば一つの「積極的な試み」としてあってもいいと思います。ただ、全く相手にしないということではなく、然るべき形で回答するということも必要な場合はあると思います。 「編集・翻訳書の注意点【Q&A】」に私の回答が示されていますが、そこに示されている考え、あるいはこれへの異論・反論を、真理を学ぶ人たちが参考にし、自ら考え、自らが判断していくというスピリチュアリズム本来の学び方をしていただきたいと思います。 (文責:川) #
by umidesu3
| 2006-05-15 20:24
| 編集・翻訳書の注意点
「心霊学研究所」はペーパーバーチ氏が管理運営しているスピリチュアリズムの老舗サイトです。
情報量の豊富さ、長期間継続して運営されている掲示板の存在などから常時500人/日程度の訪問者が訪れており、小規模のサイトが多いスピリチュアリズムのサイトとしては人気のある大きなものです。 正統的なスピリチュアリズムに関心をもつ人たちを惹きつける多くの要素を兼ね備えたサイトですが、それだけにその影響力はいい意味でも悪い意味でも大きく、その功罪について考えることは今後の日本のスピリチュアリズムの健全な発展にとって大事なことだと思います。 まず「功」の部分ですが、スピリチュアリズムの原則を堅持し、霊的なことに安易な関心を持ついわゆるトンデモと一線を画す厳しい姿勢は、正統的なスピリチュアリズムの発展に大きな貢献をしてきたと思います。 他方、「罪」の部分ですが、心の道場と同様、「排他性」が非常に強いことです。心の道場のような極端な禁欲主義、極端な奉仕主義は見られませんが、「排他性」に関しては心の道場と相まって、日本のスピリチュアリズム界に暗い影を落としてきたと私は考えています。 日本のスピリチュアリズムに排他的、独善的傾向が強いのは、「心の道場」と「心霊学研究所(ペーパーバーチ氏)」の影響によるものと思います。(何度も書いてきましたが、英語圏のサイトを見る限り、海外のスピリチュアリストやシルバーバーチファンは排他的でも独善的でもありません) 真理を学ぼうとする人たちは、このような日本のスピリチュアリズム界の置かれている状況を所与のものと捉えるのではなく、それを客観的、冷静に観察し、自己の判断、責任において、スピリチュアリズム本来のあり方を考えていただきたいと思います。 それから、心の道場への評価など過去の議論の流れを見ると、その評価が極端から極端にブレる場合が多いのですが、そうではなくて、評価する場合には、是々非々の立場から冷静に考えていただきたいと思います。(「心の道場」に関する私の考えは、「編集・翻訳書の注意点【Q&A】」 問10の答を参照して下さい) 【追記】 「今回の一連の主張の背景」でも書きましたが、「心霊学研究所(ペーパーバーチ氏)」掲示板過去ログに見られるようなスピリチュアリスト同士の罵倒合戦と言ってもいいような論争や特定の個人や団体への人格攻撃、非難、罵倒によって、スピリチュアリズムから離れていった人たちがいたことは大変残念なことだと思っています。 また、「心霊学研究所(ペーパーバーチ氏)」では十把一絡げにニューエイジはトンデモでろくでもない思想として排除しますが、このことにより良質のニューエイジまで排除されてしまい、また、このような考えに影響を受けているスピリチュアリストが多くいると考えられますがこのことも大変残念なことです。 (文責:川) #
by umidesu3
| 2006-05-15 20:23
| 心霊学研究所サイト
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雑木林の隣の原っぱにうす紫の花が満開の大きな木を見つけた もっとそばに行って見たいと思って木に向かって歩いていると 「白いカラスがいるよ」という声がした 体が半分白い赤ちゃんカラスだった まだ飛べなくて歩き回っている 「木の上でお父さんとお母さんがみているよ」 生まれて初めて見た幸運の白いカラス #
by umidesu3
| 2006-05-14 19:58
| 波と海
今になって振り返ってみると、私が近藤千雄氏の翻訳を検証し、「マイライフさん掲示板」(4月29日、30日)や波川海で公開した動機は、排他的・独善的傾向が強い日本のスピリチュアリズム界に対し(注)、私たちが入手しているシルバーバーチは不完全なものであるという認識を持ち、他の思想・宗教にも謙虚に耳を傾ける必要があることを訴えたかったからだと思います。検証それ自体に目的があったわけではありません。
(注:英語圏のサイトを見る限り、海外のスピリチュアリストやシルバーバーチファンは排他的でも独善的でもありません) その理由としては、「編集・翻訳書の注意点【Q&A】」の問2の答にも書いたように、①近藤千雄氏の翻訳検証は半分の作業にすぎず、②イギリスでの編集だけを考えても、編集者の価値観や考えが紛れ込んだものとなっている事実がある・・・という2つの理由があるのですが、翻訳検証が、今までなされていなかった始めての試みですので、これだけがクローズアップされてしまったようです。(私自身もこのことを強調したプレゼンテーションをしたことも事実です) 仮に百歩、千歩譲って、近藤氏の翻訳が英語原書を正確に表現していると考えても(←この判断は、今までの検証を冷静に読んで、読者の方々が判断していただければいいと思います)、イギリスでの人為的な編集過程から、上で述べたこと・・・つまり、「私たちが入手しているシルバーバーチは不完全なものであるという認識を持ち、他の思想・宗教にも謙虚に耳を傾ける必要がある」ということに変わりはないと思っています。 いずれにしても、問題提起への様々な指摘、反論がでてきているようですが、とてもいいことだと思います。いろいろと異なる意見、見解を参考にしながら、自ら考え、自らが判断していくというスピリチュアリズム本来の学び方が醸成されて欲しいと念願します。今までは、自ら思索する努力をせず、権威やリーダー的な人の考えに同調したり、大勢(たいせい)の考え・流れに同調するスピリチュアリストが多すぎました。 また、このような自ら考え、自らが判断していくというスピリチュアリズム本来の学び方からは、過去に見られたようなスピリチュアリスト同士の「非難の応酬」、「罵倒の応酬」もなくなると考えています。 (注)(追記)「排他的・独善的傾向が強い日本のスピリチュアリズム界」とは「ネット上の日本のスピリチュアリズム界」の意味です。 (文責:川) #
by umidesu3
| 2006-05-12 21:18
| 編集・翻訳書の注意点
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